「さんびゃくはちじゅうに‥?」

「三十八度二分です!!そんなにあったら人じゃありませんっ!!──っ!」


頭痛と自身の怒鳴り声で視界が歪む
起きているのも辛くなり、ゆやは半ば倒れ込む様にベットへ横になった


「そういう訳なので‥ほたるさん、すみませんが今日は帰って下さい」

苦しげに吐息をこぼすと傍で座り込んでゆやを見つめている男へ視線を移す


・・─そもそもどうして彼が此処に居るのだろう‥。
風邪と発覚したのは今日の朝で、まひろさんに連絡しようとした矢先に突然彼が訪ねてきた
何か用かと聞いてみても『何となく来たくなったから』とだけしか言わない。

‥彼の性格上、本当に只何となく来たのだろうが‥




「居たら駄目?」


懇願するような、じとっとした視線が突き刺さる

「─っ・・」



この視線は苦手だ






うっかり許してしまいそうになるのをぐっと堪える








「駄目、です‥」

視界がぼやけてきた
早い所彼に返って貰わなくては




「ほたるさ─っごほ、けほっ、」



喉痛い‥腫れてるかなぁ・・。
さっきよりもだるさが増している気がする




「苦しい‥?何か飲む?」



相変わらずの無表情と抑揚の無い声だが、そっと額に乗せられた掌から伝わるほたるの温もりに心地よさを感じた
ゆっくり頷くと、それに答える様に額を優しく一撫でして、ほたるは台所へと向かった
















─温もりが離れ、室内に静寂が戻る

心なしか室内がさっきよりも寒く感じた








帰って貰わなくてはいけないと思う反面、
微かな淋しさがよぎり胸が締め付けられている様な喪失感を感じる







「やだな‥感傷的になってる」




訳もなく込み上げてくる涙をぐっと堪えた
そう言えば‥風邪の時に誰かが居てくれたのは小学生の時以来だっけ


両親は共働きでいつも帰りが遅くて‥

大学生の兄が一日中傍にいてくれた

















─そっと、目を瞑る




浮かぶのは12の頃の自分

埋もれて忘れかけていた幼い頃の記憶を手繰り寄せる


大きな掌

優しい兄の顔

自分を呼ぶ声



























『兄様‥どこか行っちゃいやだよ』










































『大丈夫だよゆや‥、治るまでずっと傍に居るから』


































そう言って、大きな温もりで寂しい気持ちを拭ってくれる


だから、私は安心して眼を瞑れた























































「─‥ゆや、お茶。‥…ゆや?」


 凡そ20分


お茶の入れ方が分からず悪戦苦闘した末できたそれを手にほたるが現れたとき、
寝室は静かな寝息と熱に包まれていた

そっと歩み寄って少女を伺い見る


深く瞑られた瞼─

一定のリズムを刻み上下する布団に、どうやら眠ってしまったようだ、と認識する


ほんのり上気した頬に指を這わすと思いの外熱く、驚いた
このままゆやの寝顔を眺めていたかったが、安静に寝かせてあげたいのもまた、本心だった

今日くらい我慢をしようと、彼にしては珍しく殊勝になり最後に少女の頬を優しく一撫でして立ち上がろうとした




「─っ・・?」

右肩に微かな重みを感じた



重みの元を目で追うと服の袖を握り締める細く白い腕





「…ゆや?」


驚いて傍らの少女に声をかけるも、返ってくるのは規則的に吐かれる吐息だけで…

暫し呆然と突っ立っていたほたるだが、何を思ったのかその手を今度は握り返してみた


「…」



薄らと浮かんだ微笑

幼子の様に眠るゆやに、思わず苦笑を零す






居て欲しいって

素直に甘えればいいのに…








伏せられた瞳はどんな夢を見ているのか(大方想像はついたが)
無防備に曝け出された寝顔を眺めほたるは穏やかな笑みを浮かべた。


























「―・・ん・・」

どれくらい眠っていたのだろう・・。
ふっと目を覚ますと辺りはもう薄暗く、カ−テン越しにさした夕日が室内を鈍いオレンジ色に染めていた。

遠くから響く踏み切りの警鐘音。其れに混じる児童の笑い声・・
時計をみれば、針は四時半を指したところだ


その横に置かれた見慣れた湯呑に数時間前の記憶が思い起こされた。


(あ・・そうだ、ほたるさん・・)


首だけ向けて辺りを見回すが、ほたるの姿は何処にも無い



「そりゃそうだよね・・。あれから何時間も経ってるんだし。」

掌に置かれた指先の温もりを思い出し、寂しい心が少しだけ疼き出す
其れをかき消すように、めいっぱい布団を被って、ゆやはベットへ潜り込んだ



不思議と、布団の中は暖かい。

其れは自分の体温の所為だけではなくて・・・・




「―っっ!!!!」


何か、ぐにゃりとしたモノが自分の腰辺りに巻き付いてきた
驚いて固まるゆやを他所に、ソレは呑気な欠伸とともに布団から顔を出す


「・・・どうしたの?」

「――っ!!ほ、ほたっ!!」


―ほたるさん!何で居るんですか!!


そう言おうとしたが、余りの驚きに声が出なかった
金魚の様に口を開閉するゆやの心情を理解したか、しなかったのか

「何か寒かったから・・」

ただ一言そう呟いた
そしてまた気持良さ気にゆやを抱きしめ目を瞑る


「だ、駄目ですっ!風邪うつっちゃいますよっ!」

「ん-大丈夫だよ、たぶん。風邪引いたらゆやが看病してくれるし。

・・それに、」

くいっと耳元まで唇を近づけ優しく囁いた












「寂しくないでしょ?」













まるで宥めるように言われたその言葉は、ゆやの抵抗を打ち崩すには十分だった
遠慮がちに向けられた視線は何処か甘えを含んでいて・・





答える様に、優しく背中を叩いた。








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2007・1/22
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