廻り始めた、歯車
全て、必要な事だったんだ
―きたるべき、出逢いの為に
//Black affection//
傷の数と比べて、出血はさほど酷くなかった
右手に堅く握られた三連銃、懐に小太刀
人の世に言う暗殺者か賞金稼ぎ……信じ難いが恐らく後者だろうと推測する
ボロボロの衣服にべっとりと染み付いた鮮血をまとった女は、よく見なくてもまだあどけなさを残した少女であると分かる
張り詰めた緊張が疲労に追い討ちを掛けたのか気を失った侭起きる気配は、無い
ぐったりとした身体を手近な木の根元へと横たわらせて、遊庵は溜めていた息を盛大に吐いた
「何やってんだ、俺・・」
今日程、外へ来なければ良かったと思わない日は無い
たかが人間の女一人助けて何になる?此処で救った所で戦乱の世だ。結局、短い一生を送るのがオチだろ
自分が何をしたいのか…何をしているのかさえ分からない
訳の分からないもどかしさが、遊庵を苛立たせていた
きっと薄気味悪いほど美しく咲き乱れる桜と妖しく輝き続ける満月に酔ったせいだ
そう無理矢理納得させ頭を振った
冷静さを取り戻し掛けた頭に安堵して、
次に考えたのは後始末
外を出歩く事を禁じられている訳ではないが、人間と関わった事がバレると後々面倒だしなにより、
家族に身の危険があるかもしれない‥それだけは避けたい
しかし、自分から手を出したモノをその侭放る事もまた、中途半端の嫌いな性分の所為で出来なかった
伸ばしては引き戻す腕が滑稽に思える
・・・生きてさえいれば良い
散々迷う心を踏み潰し
早々と此の場から去る為遊庵は処置に掛かった。
先ずは傷口の洗浄。
ほんの少しばかり躊躇ったが、帯紐をゆっくりと紐解いていく
少しづつ露わになる裸体から白い柔肌と瑞々しい乳房が覗きぞくりと、奇妙な感覚が背筋を走る
そこかしこに生々しく残る傷跡さえも、もともと女の身体に組み込まれてたかの様な鮮やかに赤黒さを帯びている
よくよく見れば、その下に更に重なる様に無数の古傷を確認できた
此の御時世‥よく在る話のよく居る人間の一人に過ぎない
そんな人間腐る程見てきた筈なのに、この女に限って何処か他と違う
(─っは、馬鹿馬鹿しい)
鎌首を擡げ始めた可笑しな感情に眼を背ける
此以上、掻き乱されるのはゴメンだ
素早く傷を洗うと手近な薬草を取ってきてその薬汁を塗込んだ
滲みるのか、今まで人形の様に身動き一つしなかった女の瞼が僅かに痙攣する
「─っ…う"‥」
一瞬起きるかと思い焦ったが、想像以上に深い意識の中に居るのか、薄い瞼が開く様子は無い
変わりに微かな喘ぎが零れた
始めはただの呼吸音かと思ったがよくよく耳を澄ましてみれば、断片的に何か言葉を発しているのだと分かる
そしてそれが、誰かの名だと言うことも
指先がぴくりと痙攣を起こす
重たげに持ち上がったそれが、羽をもがれた蝶の様にもがき、地を這いずる様は必死で
此の場に無い何かを求めている様に見える
しかし如何せん、憔悴しきった体‥ほんの僅かに動かすだけで起き上がる素振りは見せない
起き上がることが出来ないと言った方が正しいか
それでも諦めない指先は模索し続け、やがて遊庵の節っくれだった手の甲をつついた
「―ッ!」
反射的に腕を引っ込める
それを追う様にもがき続ける白い指先
再び彼のそれに辿り着くと、まるで安心したかの様に指先がぱたりと力尽きた
小さな体温は思いの外熱い
乱れた呼吸音が何時の間にか整っていた事に不思議に思い女の顔を覗き込むと、心無しか先程より顔色が柔らかくなっている気がする
退かすのが妙に躊躇われ、仕方なく片手に預けてやった
遠くで響く獣の呻きが、横たわる少女との妙な雰囲気を壊してくれるのが救いだった
(―此で良いか‥)
処置の終わりを意味する独り言
何故かその言葉を吐いた途端、胸奥がちりちりと灼けるような感覚がした
まるで女との関わりを断ち切る事を厭んでいるような――
「―っ何、考えてんだよ‥!!マジでありえねぇって・・」
少しづつ少しづつ、確実に何かが浸食している
有り得ない、有るわけ無い
─有ってはならない
「―チッ」
奥歯を苦々しくみ締め、苛立ちを吐き捨てる様に力任せに拳を地面へ叩きつけた
泥臭い芳香が鼻孔を突つき和らぐ所か一層募る
飛び散る泥が女の白い頬に…ほんの微量だけ付着し、僅かな冷たさが其処から染みた
付着した箇所が目元だった為か。二、三度痙攣を起こした後、薄い瞼に覆われた翠がうっすらと開かれた事に、遊庵は気が付かなかった
掠れた景色の中の赤と銀の影が女の瞳に揺らめく
段々と冴え始めた思考回路が、それは「人」だと認識させ
更には先程迄自分が陥っていた状況を思い起こさせた
「───っ!!!」
とっさに、握り締められていた三連銃を影へ向けたのと、遊庵が気配の変化に気が付いたのはほぼ同時─
─二秒遅れで甲高い銃声音が山中に轟いた
「───っっ」
一陣の風に赤い布端が舞った
一つは地面を抉り
一つは朱色の目隠しを貫き
そしてもう一つは遊庵の拳に握り潰されていた
「─グ…っ―、、」
とっさに受け止めたは良いが、あまりに至近距離だった為弾丸は高熱を持った鉄の塊と化し
ジュゥ‥、と肉の焼ける嫌な臭いが辺りに漂う
それに顔をしかめつつ
尚弾頭をこちらに向け身構える女を遊庵は見据えた
もはや腕を上げ続けるのも辛いらしく、カタカタと小刻みに震えている。焦点はぼやけて定まっていないようだった
それでも歯を食いしばって、必死に意識を保っている
不思議と、苛立ちは湧かない
むしろその凛とした魂の強さに感嘆の息さえ零した
―遊庵の中で、一つの答えが出る
「─其れだけ威勢良きゃ大丈夫だろ。止血はしたが今夜はあんま動くなよ」
姿が見られていないのは好都合だが、意識が戻った以上‥、早急に立ち去らなくてはならない
「‥だれ‥あなた」
荒く吐かれた吐息に混じる弱々しい声に、只笑って返す
「‥知る必要はねえ。知ろうとする事も‥‥。折角拾った命だ、簡単に、落とすな」
じゃあな‥と言い終わる頃には、姿は闇に消えていた
声も気配も完全に感じられず、シンとした湖面の冷たさが再び静寂を取り戻す
「──っ‥あ‥」
腕の痺れを抑えきれず、銃が指の間をすり抜ける
「…っは…は‥ぁ…」
緊張が解かれたと同時に全身の力が抜け、背後の老木に体を預けた
(―誰、‥だったのだろう…)
無我夢中で逃げ回っていた自分にはおよそ検討も付かない
一つだけハッキリしているのは、それによって己は拾われたのだ、命を
霞掛かった思考の隅で、最後に見た景色が鮮明に浮かび上がる
「赤と、…銀の男…」
見上げた夜空に薄く焦げ付いた朱色の布切れが、ひらりひらりと舞っていた
名を
名乗っておけばよかったな
去り際に感じた、直感にも似た感覚─
何時かまた、あの翠を垣間見る気がしてならない
「楽しみだな」
疑念
驚嘆
畏怖
どんな眼で俺を見る―
何て声で俺を呼ぶ―…
恐らくその時、この感情の意味を知るのだろう
右掌に食い込んだ鉛色の弾丸を眺め
愉しげに口元を歪める
雲間に霞かけた月光だけが二人の姿を眺め、妖しく照らしていた
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