「電器屋?」

 女は、そう尋ねた。地べたに座り込んだまま、女を見上げる。薄暗い廃墟の
ような建物の中にも、こんなに光があっただろうか。思わず、そう驚嘆しそうになるのを、
すんでの所で止めた。
 光ではない。それは、女の髪だった。日光よりも柔らかく、月光よりも強い。そん
な金髪だ。女の特徴は、それだけではなかった。済んだエメラルドの双眸。
 だが、それに陰があることは分かっていた。そう。ここに来る者は、誰でも陰を
持っていた。ある者は人殺しで、ある者は資金繰りのために裏社会と繋がっている。
あるいは、平凡な人にもある暗い思い出。
 遊庵は、喉の奥でくつと笑った。

「こんなとこまで、はるばる何のお買い物だ?」

「紅十字。」
 女は迷うことなく答えた。

「そいつがどこにいるのか、を。」

「はぁ?何言ってんだか。ここは、あんたのような嬢ちゃんが来る店じゃないんだ
よ。それに、安くはない。」
 そういって顎で古びたラジカセを指す。埃にまみれて、白っぽくなっているラジカ
セの取っ手には、適当な値札が付けられている。針金で付けられている値札には、0が4つほど。
 だが女は一瞥することもなかった。

「お金はある。」

「嬢ちゃんの小銭、諭吉一枚くらいじゃあね。話しにならない。」

「百枚くらいあれば、十分でしょ?」

「まぁ、どうだろうなぁ。このコンポなら売ってやるぜ?」

 やはり、埃にまみれたまま地面に置かれているコンポを指す。女は溜息をついて、
仕方なくといった風にコンポを見遣った。隙間風が入り口に垂らしていたぼろ布を揺らす。
女の金髪が流れる。指先が、差し込んできた一筋の光に白く照らされた。そして動く。

(なかなか、の速さ…か?)

 遊庵にしては珍しく他人を賞賛しながら、しかし背後に回り込んでナイフを喉元に突きつける女を、
冷ややかに見つめた。見つめたというのは、やや語弊があるかもしれない。
遊庵の目には赤い布が巻き付けられ、物が見えることはない。

「…大人しく、情報を渡したら?それとも、命はいらない?」

「嬢ちゃんこそ、下調べが足りないんじゃないか?」

 遊庵は低く告げると、ナイフを持った女の手首を掴んだ。そのまま手首をねじり、左肘を後ろに引くようにして
鳩尾に撃ち込んだ。その速さについていけなかった女ではあるが、とっさに体をねじって遊庵の肘をかわした。
だが、そのために、さらに手首を捻ったのだろう。背後の女は苦痛に顔を歪め、歯を強く食いしばりながら、
掴まれていない手を拳にする。
 遊庵はその拳が自分に届く前に、円を描くようにして、女を引っ張り、地面に叩きつけた。
女の手首がねじるどころではなく、関節が外れる。
整った顔立ちが、また、歪んだ。それでもエメラルドの透明さは変わらない。

「…ッ」

 女の体を叩きつけられたラジカセが、後方へと転がった。遊庵に投げられたのだ。
受け身が取れるはずもなく、綺麗な倒れ方ではなかった。むしろ滑稽とでもいえる。
その滑稽さに笑おうとして、しかし笑みが浮かぶことはなく、胸中で呟いた。

(美しい、娘だな)

 あまりにも自然とした呟き。遊庵は無意識に女を見つめた。
背中を強く打ち付け、呼吸が苦しくないはずはないのだが、女はそれでも体を起こして戦闘態勢を崩して
いない。関節が外れた右手は使えないと諦めたのか、左手で腰の武器を掴もうとする。

「物騒なもんは、しまっとけよ。」

「何を…っ」

 細い首を片手で掴み、引き上げる。そして女が探っていた銃を蹴り飛ばした。

「俺に太刀打ちも出来ないくせに、紅十字を追うつもりか?」

「あな…あなたに、関…係な、い」

 締められた喉の隙間から、掠れた声を発する。
 驚いたことに、遊庵に生命を握られた状態になっても、女は睨んできていた。
命を乞おうともせず、ただ痛々しいまでに闘志を剥き出している。そう、感じられる。
比喩するならば、獣だ。美しくも、手負いの豹。煌めく双眸は直線的に見つめており、
その視線の先には自分がいる。目を隠し、口元だけで表情を伝えている自分が。

(前を見すぎて、こいつ、自分の傷に気付いてねぇんじゃねぇのか。)

 尖った舌先で上唇をなぞる。

 滑稽などという感情は、すでに消えている。ただ冷え冷えとした感情までもが、
女に向かって研ぎ澄まされていた。それは、気がつかぬうちに引き付けられているようだった。
 一歩、足を前に出す。硬質な靴底が、固い音を発する。その音にハッとした女の瞳には、
ようやく恐怖が映し出されている。遊庵はその表情を無視して、もう一歩、歩み寄った。女が思わず後退りしようと、
手で地面を押して体を引きずる。一緒に引きずられた砂が、地面に筋を作った。
 遊庵はさらに大きな一歩。そして腕を伸ばした。逃げられる前に関節の外れた手首を掴む。

「っ」

「……」

 痛みを感じるよりも速く、遊庵はずれた関節を元に戻していた。一瞬、瞬きをした女は、
驚いたように遊庵を見上げた。同様に、遊庵は女を見下ろした。自分の影の中で為す術もなく、倒れて
いる女。刺々しさが、幾分か和らぐ。
 見下ろしているのは自分。影の中に入り込んだ女。そこに光、対となった宝石。

「…何、やってんだか…」

「…え」

 自嘲気味に遊庵は呟くと、口元を微かに歪めた。苦笑するしかなかった。

「いいだろう。ネタ、売ってやる。」
「…え?」
「ただし高いからな。」
「…え、あ、ありがとう。」

 戸惑いながら、女は礼の言葉を口にした。その表情は、初めよりも大分幼く見える。思ったより、はるかに若いのかもしれない。女は少し離れた位置にある荷物に手を伸ばし、中から紙袋を取りだした。恐らく札束が入っているのだろう。
「これ、で間に合うかしら?」
「…終わったら、ここに来い。」
「……え?」
「終わったら、ここに戻ってこい。それが代金だ。」

 札束を受け取ることなく、遊庵は言った。その意図が分からずに、女がまたもや
数回瞬きをする。瞬きをやめると、警戒の色を見せた。

「どういう…こと?」
「さぁな。」

 遊庵自身も、何を意図しているのか分からなかった。だから答えようがない。
しかし、恐らく分かっていても答えないだろうな、と頭の隅で思う。

「だが、どちらにしろ、ネタいるんだろう?」
「…分かった。それで、いいわ。」



 オマケ

 埃くさい廃墟。灰褐色のコンクリート。ところどころにある割れ目が、寂れた様子を
さらに演出していた。ここは、風すら触れようとはしない。ましてや光など、言うまでもない――あるいは月か。
昼夜の不明瞭な場所だった。

「…はっ。紅十字か。」

 遊庵は口角をつり上げた。だが笑ってはいなかった。笑っていたのだとしたら、それは、刺々しいまでの
苛立ちと、相反する戸惑いを、笑い飛ばしたのだろう。目の前にいる女は、血に濡れたまま壁に寄りかかっていた。
もともと色の暗い服ではあるが、血によって黒光りしていた。それはすでに凝血し始めている。

「約束通り…来た、わよ。」
「ほぉ。ヤツとは終わったのか?」
「……」

 今にも倒れそうになりながら、女は眼を細めて睨んでいた。細い肩が、荒い息で上下動する。
遊庵は表情を変えずに、近づいた。血の匂いが、さらに濃くなる。鼻を、ひく、とさせる。酔いそうなほど、濃厚だ。

(この濃さと、脆さが…俺を引き付けるのか?)

 手を伸ばしても、女は避けようとしなかった。背中を薄汚れた壁につけ、かすかに震えている。
「…なぜ、弱ぇくせに、ヤツに挑んだ。」
「……理由が、あるから…」
「命かけるほどのことか。バカか?」
「…っ」

 唇を開こうとして、痛みに顔を歪める。見れば、口元にも一筋の切り傷があった。
 遊庵は顔を近づけていた。

「…っ」

 そして、傷を舐める。尖った舌先から鉄臭さが染みていく。
まるで治癒のために、獣が傷口を舐めているようだった。もう一度、先で傷のラインをなぞる。力無く、
それでも女が遊庵の胸を押した。抵抗して、拳で叩いてくる。その振動が、胸の鼓動すら揺らす。
 細い手首を掴み、壁に押し付ける。包帯を巻き付けて治療し、拘束して鎖で繋ぎ止めておきたい衝動にかられた。
だが、この美しい獣は、廃墟には似合わない。
 武骨な手で、女の服を剥いだ。素肌に冷たさを感じたのか、女が固まる。見れば、肩から腕、脇腹に大きな傷があった。
ひとつ溜息をつくと、遊庵は女を腕に抱きかかえていた。
貧血を起こしかけていた女は、遊庵を叩いていた拳すら保てず、なされるがままになる。

「止血ぐらい、やっといてやる…ただし、別料金だがな。」

 独り言のように呟くと、遊庵は止血のために女を部屋へ運んだ。その背中を、割れ目から入り込んだ月光が、
かすかに照らしていた。




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やなぎ様へ

遅くなった上、ろくでもない代物で申し訳ありません。
タイトルは思いつかなかったので、no titleということにでもしておいて下さい。
お詫びになるかわかりませんが…もし、以前サイトで掲載していたもので、気に入って頂けていた作品などありましたら、
一部除いてですが…ひとつ、差し上げます。もちろん、無理に押し付けられませんけれど…。 


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「狂ゆや草紙」の朔花様からキリ番SSを頂きました!!!
ゆんゆやでゆんゆん片思い版をリクしたのですが流石です!
オマケまで頂けて管理人は果報者です。感謝の連続です。。

やはり頭の出来の違う人は凄いなあと感じました…正直閉鎖さされてしまったのが勿体無いです。。

朔花さまの最後のKYO小説として大事に保管します!
有難う御座いました。



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